恋
恋とは違う何かだと思っていたアレが最近形を変えつつあるような気がする
もしくはいま眠れなくて物思いにふけりすぎて変になったのかも
あの子がほしい
あの子が私を愛していないのが苦しくて悔しい
あの子の全てが私のものじゃないのがもどかしくて
それだけで全てが無意味に思えるほどの空虚さがある
あの子が
あの
これはどういう気持ちなのか
すきなのか
わからない
んかゆぬさ
んな
わからん
一日中考えてる
ツイッターといんすた監視してる
いいねまで見てる
あの子が私の全てだと思うしあの子のすべてでありたかった
これが恋ならきっと
ただの恋煩いとして片付けられてしまう感情なんだろう
それが怖い
抱えきれないこの大きすぎる何かが
ただの恋煩いだってことで
全て片付けられてしまうこととその事実が怖い
私の中に収めていて私が壊れそうになってしまうこの思いに
ただその個別の思いとして誰かに
本当はあの子に
寄り添ってほしい
受け止めてほしいとおもった
、
苦しみは自分の中で押し殺してこそ美しいのだとしたら私はこのまましねば
何よりも健気で悲しい
そんなこともなく
あの子は平和で
恋人や友達とともにたのしく
私だけ
死ぬ
ああもうやだしにたいしにたいにたいしにたいにいたいにし
向精神薬の功罪
更新がすっかり三日坊主になったのは薬のおかげで辛くなくなったから。
今まで毎日毎日夜中が辛くて、ありえないほど苦しくて
その旨をカウンセラーさんに伝えるとなんとか理由を掘り下げようとしてくれるんだけれど
正直これといった具体的な理由がないからどうしようもなかった。
確かにつらくなる理由はある、前の記事とかで散々述べた通り。
でも夜中になるとそれらがなぜか重みを増して私にのしかかってくる。
それはなぜだかわからない。
それで二、三週間くらい前、
大学併設の精神科に行ってワイパックスを何錠かもらってきた。
これは中学高校時代にもお世話になっていた薬で
当時も同様の症状で悩んでいてバカバカ飲んでいた。
ぶっちゃけODも何度もした。
久しぶりに飲んでみるとやはり効果てきめんで驚いた。
日が暮れ始めて「つらさが来る」と感じたとき、
もしくはふとしたきっかけで病みそうになったとき、
(鏡の中の自分が不細工だとか、あの子が毎日充実していて私の事なんかどうでもよさそうだったとか、大好きなサークルの先輩が私以外の一年と仲良くしてるときとか)
考えるのをやめて一錠煽る。
そうすると、いつもだったら死ぬほどつらくて胸が締め付けられて吐きそうになってたのがウソのようにケロっと過ごせる。
このおかげで夜も乗り越えられるようになったし、
あの子のことを考えて泣くこともなくなったし、
首吊りごっこもしなくなった。
もちろんプラセボもあると思うけど、「つらさをコントロールできる」ってことが何より心強い。
でも不思議なのは
「つらくない」だけで「つらさがなくなる」わけではないこと。
「つらさがある」というのは頭が理解しているんだけど、
「つらい」気持ちだけが追い付いてこない感じ。
この感覚がなんだか気持ち悪い。
つらいはずなのにつらくない。
つらくなくちゃいけないはずなのに。
妙に冷静になって自分を外から見てるような気分。
「友達いないし、誰からも愛されてないし、学校生活もうまくいかないし、あの子に振り向いてもらえるわけないのにずーっと想ってるし、つらいことこそ山ほどあれ良いことなんて一個もないし......」っていつも通り自分を分析して、
そしたらいつも通りつらくてたまらないはずなのに、つらくない。
おかしい、自分が自分じゃないようで。
胸の中で燃えるあのつらさがないのはおかしい。
自分から何かが剥離していったみたいで、空っぽになったみたいで、不安。
でもその不安さえも薬が打ち消してくれるから
空っぽになった自分だけが、ただ本当にそれだけが残る。
多分つらさは一種のアイデンティティだったり、
何かの実感だったりしたんだと思う。
感情は自分が感じたストレスとか体調のフィードバックだから、
それは自分が自分として在ることの実感、さらには証明みたいなもの。
だからそれがなくなるとなんだか、
スカスカになったような、
抜け殻になったような気持ちになってしまう。
そして実感を伴わないまま毎日が過ぎていく。
薬を飲んでから一週間がありえない速さで過ぎていくようになった。
常に今が何曜日なのかよくわからない、何時なのか、平日なのか休日なのか。
毎日を過ごすというより、時間が私の中を通過していくような感じがする。
空洞になったみたい。
薬を飲んでつらくなくなったのは確か。
でも飲む前と後、どっちが「楽しかったか」「面白かったか」と聞かれたら
それは確実に前。たとえつらかったとしても。
今はもうなんていうか
無
楽しくないしつらくもない
なにもない
楽しくないことがつらいとも感じないし
それゆえに、「楽しくなろう」「幸せになろう」とも思わない
何かつらいことがあっても「どうでもいいや」ってなっちゃう
つらさを受け流せるから思考停止できちゃう
空洞ですね
僕の心を薬が奪い去った
俺は空洞 でかい空洞
すべて残らず薬が奪い去った
俺は空洞 面白い
面白くない
さっき飲んだのが回ってまいりました
いろいろよくわからない
どうでもいいや
早速だけどさいきんにかけて飲む量が増え始めた
いっかいお酒で流し込んだり
二錠同時に飲んだりもした
つらくないっていってんのにこんなことするのよくわかんないね
自分で自分が把握できないし
感情だけなくなって自分が、自分の支配の及ばなくなった自分が遠くで勝手に歩き回ってるのをながめているような気分
離人症じゃないけども
レミングスってゲームのあの感じ
もう自分は自分ではないし
考える自分と感じる自分が分離したようなもの
感じる自分と行動ずる自分はレミングス
でもいまタイピングしてる自分とこれを思っている自分はどうやら一致しているようで
またわれ思うゆえにわれあり
しんどいしんどいしんどいしんどい
向こうの方は大学楽しくて依存しない素敵な友達がたくさんいて恋人とうまくいってて
そんな中に私がねじ込める余地なんてないもんもう私ただの邪魔なやつ
こんな私を受け入れる義理もきっと無いし受け入れてもらえるほどあの子に何かを私与えられてない
辛い辛い辛い辛い辛い辛い
いよいよ一人になってしまった
しにたいよしにたいしにたい
しにたい
今死にたい
あの人に一番に愛されてないのが苦しい
恋人がいるあの子にこんな感情を抱くのは馬鹿みたいだし正直ほんとうに馬鹿だと思うけど
あの子に一番愛されてるのが私じゃないのが悔しい
私がこうだってこと、依存しそうだってこと、少しおかしいこと
全部包み隠さなくてもわかってくれて受け入れてくれるのがあの子だけだった
他の人にきっとこの面を出したら即距離を置かれると思う、そんなことも実際あった
他の誰にも依存したいと思えないのはたぶんこのせい
夜中辛くなるとあの子に連絡してしまう
多分そういうことすればするほど嫌われるんだと思う、でもどうしてもやめることができない
私の自己肯定感の供給源をあの子に一手に押し付けてしまう
私の存在を肯定してくれるのはあの子だけだから
他の人に見せてる私、他の人から認められてる私は本当の私じゃ無い、まともを取り繕ってる私、だからそういう承認はどうしても虚しい
あの子だけがきっとわたしをわかってくれてる、そうおもうと依存するのをやめられない
私はあの子に全部を依存してる、でもあの子の中で私は全然どうでもいい存在なんだと思う
あの子の中では恋人が100あったとしたらきっと私は0.01も無いんだと思う
そンなことを考えるとつらい
もし恋人がいなかったら私を選んでくれてたりしたのかな
うぬぼれだ
私は不細工だし何の甲斐性もないし魅力ないし面白く無いし
死んでしまいたい
でも多分私もあの子のこと好きじゃなくて依存してるだけなんだと思う
なにがなんだかわからない
死にたい
寝すぎと飲みすぎで気持ち悪い、
でも飲むか寝ないかしないとつらすぎる
頭痛いのは寝すぎのせいかお酒のせいかわからない
殺して
他人の自傷痕が愛おしい
他人という存在はあまりにもつかみどころのないもので、どんなに求めても相手の本当を知るのは無理だ。
見かけの人格はいくらでも取り繕えるから、それがその人の素の顔だと思っても本当にそうかは永遠にわからない。
でも、
自傷痕にだけはその人の本当が浮かび上がっている気がする。
食器棚にナイフがあると思う。
鏡のような表面を持つテーブルナイフが。
曇った表面だったり自分の顔が映らないほど傷だらけのものではなくて。
できたらそれを手に取ってみて欲しい。
ナイフを見つめる、ナイフ自体を見ようとしてみる。
鏡面を持つものを見つめることの難しさに気づくと思う。
周囲の景色を反射するナイフはどこが表面なのかわかりにくい。表面を見ているつもりでもそのコンマ何ミリ手前、奥を見ているかもしれない。
ナイフを見ているとき、それに反射した周囲の景色の像に同時にピントを合わせることはできない、その像はナイフの奥でぼやけて二重にちらついている。
ではナイフの奥に写った像を見ようとすると今度はナイフ自体がぼやけて二重にちらつく。
どこを見ればナイフを見れるのか、どこがナイフなのか、考えれば考えるほど不可能性に囚われてもどかしくなる。
私にとって他人を知ることはそれと同じように原理的な不可能性をはらんでいて、もどかしい。
もう一度ナイフを見る。
今度はナイフの表面に刻まれた小さな傷に目をやる。
傷にピントがピッタリ合う、表面に沿って這う傷に形取られて今度はナイフの表面がちゃんと見える、ナイフの形がわかる。
さらにはナイフに文字通り刻まれた歴史がわかる、記憶がわかる、使われていたってことがわかる。
他人の手首に刻まれた傷も同じ。
あの子のためらい傷を見るとあの子が見える、あの子の存在がわかる。
あの子が苦しんだってことがわかる、痛かったってことがわかる、生きてたってことがわかる。
哲学が形而上学の泥沼でもがいていたとき「我思う故に我あり」を発見した人がいるけど、
対人関係の泥沼でもがいている私にとってはそのくらいの大発見に近い。
躁鬱と自己否定
こんにちは
心底死にたいのでブログに吐くことにします。
大学デビューに失敗した。
正確に言うと大学デビューには成功したのだけれどどうやらそれはただの躁だったようで、ちょっとつまづいて鬱モードに転落した。
(私は多分正式な躁鬱ではなくて、気持ちの大きなアップダウンや好不調を便宜的にそう言っているだけです)
躁の時はなんでもかんでも肯定的に捉えられる。
私の振る舞いに皆ウケてるんだろうとか。
サークルの先輩に軽口をたたいたり。
恋人が既にいるあの子となんでだか付き合える気がしたりしててばかだったなとおもいます。
勉強も友達付き合いも全部うまくいく気がしてた。
実際その時までは割とうまくいってた。
でも途中でダメになった。
躁がもたらす根拠のない自己肯定感は脆くて、たった一つの失敗で瓦解して鬱の闇の中に私を生き埋めにしてしまう。
崩れて瓦礫になった躁は一変して、失敗の記憶として私を苛み続けるようになる。
精神状態を 躁-普通-鬱 の三段階と捉えると、鬱から普通に戻ろうとする試みは少なからず躁時代の自分に近づくことと同じで、崩れてしまった躁を目の当たりにするとどうしても怖い。
また失敗する
怖い
躁から鬱転すると自分が良いと思ってやったこと全て否定されるからタチが悪い。
自分の価値基準が信頼できなくなる。
こんなことしていいのかな、迷惑じゃないかな。迷惑なんだろうな。私に慕われて嬉しいはずないし。
上手く出来るかな、私に出来るかな。出来っこない。あの時も上手くいくと思って失敗したんだから。
って思考回路になってすべてダメになってしまう。
自己肯定感が消滅すると自分で自分を攻撃するようになって更に深い鬱の闇へ掘り進んでしまう。
誰か私を肯定してよ
変わるのは怖い、このままの私を認めて欲しい
だから毎日毎日お酒飲んで
叫んで
泣きながらロープに首をくくって
でも勇気がなくて
自傷も出来ないほど弱虫で
薄皮一枚切って精一杯で
意気地なしな自分にまた嫌気がさして
誰かに愛されたい
抱きしめられたい
って思いながらうつ伏せになってお酒で大きくなった自分の鼓動を感じながら寝る
おやすみ さよなら